

弔辞例文 (67歳で他界された参議院議員)
例文
〇〇●●先生。
最後にお目にかかったのは、今から4ヶ月前のことでありました。
病床に臥しておられたとはいえ、そのまなじりからは「戦わんかな」の覇気がみなぎっておられ、逆に私が勇気を頂いたことを記憶しております。それだけに今回の突然の訃報を受け、茫然自失の思いでございました。
先生は大いなる志を抱いて郷里より、この地に来られたと伺っております。その時の先生は御年18歳の青年でありました。
▲▲大学の土木部で学んだ先生は、その英邁さを高く評価され、研究者の道を歩むことを要望されました。しかし、あくまでも現場で貢献したいという志を貫かれ、地元の◆◆県庁に職を得ることになりました。 あなたのこの判断は、あなたご自身においても、そして世の中にとっても最良の結果をもたらしたと確信しております。
土木すなわち、 人々の生活を支えるインフラであり、土台であり、柱とも言える存在であります。 あなたが県庁において関わったプロジェクトの中でも、★★川の護岸工事は特に特筆すべきものであったといえるでしょう。
竣工以来、それまで頻発していた洪水が鳴りを潜めたことを、地元住民並びに県民は深い感謝の思いとともに思い起こすでありましょう。
平成●●年、私たちや業界関係者は、先生のお力を国政において発揮していただきたいと懇願し、参議院議員の候補として擁立することを決定いたしました。どこまでも現場で官民の別なく、多くの人たちとともに働きたいとおっしゃっていた先生でありましたが、再三にわたる私たちの熱望に押される形で、出馬を決意していただきました。
国政に身を置いてからの先生は、獅子奮迅、勇猛果敢、それでいて気配りと心遣いを絶やさない剛と柔を兼ね備えた存在感を発揮しておられました。
先生の人格すなわち、情熱ときめ細やかな配慮と男の優しさに魅了された人たちは、政と官、そして民間の別なく広がっていきました。
今にして思えば、先生は自らの命を削りながら、絆を深め、信頼を広げ、私たちの愛する祖国に生きた証を残されたのではないかと感じられてなりません。
病を得てからも、先生は見舞いに来られた方達を励まされ、 常に国民生活の向上、世の行く末に思いを寄せておられました。
67歳という享年は、人生を100年という長さで捉えるようになった今日においては、惜しむべき年齢であったと言えるかもしれません。
しかし、先生の生き様は、縁する人たちに深い感銘と勇気を与える結果を残したに違いないと確信しております。
今ここに、感謝と敬意、心からの御礼を申し上げ、お別れのご挨拶といたします。
合掌
令和●年● 月●日
衆議院議員 ★★▼▼
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