

弔辞例文 (94歳で他界された取引先の建設会社会長)
例文
謹んで西田明会長の御霊前に申し上げます。
事業家として、そして人生の先輩として、あなたは私の父と同じく、常にお手本とする方でありました。
九十四歳の御年とはいえ、「まだ早い」そして「さらに教えを受けたかった」
これがあなたに対する、私の思いであります。
昨年、平成から令和に改元されましたが、弊社と御社は明治三十年代からともに歴史を刻んできた間柄だと伺っております。
あなたは大正14年3月17日、この世に生を受けられました。
終戦を迎えた時、あなたは二十歳の青年でありました。
「死」というものが、老若男女を問わず身近に感じられた時代。
あなたは折に触れ、そのような貴重な体験を語ってくださいました。
人は縁により可能性を開き、可能性を開くことは、新たな価値を生む。
会長や私の父の生き様を思う時、この言葉の意味を改めてかみしめずにはおられません。
経営者でありながらも、職人的なこだわりが強い。
私の父はそのような人間でありました。お世辞が嫌い。建前よりも本音。そして、誰が何と言おうと良いものは良い。
そのような父でありましたが、営業のプロであるあなたに対しては、最大の礼を持って接しておりました。
「信頼できる先輩がいてくれることはありがたい」
これがあなたに対する、父の思いではなかったかと思います。
毎年行われる業界団体の旅行には、私もご一緒しておりました。
あなたと父はまさしく、「絵になる二人」といえる間柄でありました。
二人のたたずまいとやりとりは、実に味わい深い物がありまして、微笑ましく感じたことを記憶しております。
父が他界してからは、今度は私自身が時にあなたの「弟」ともいえるような立ち位置でかわいがっていただき、数多くのことを教えていただきました。
遊び方、人に対する評価、そして、家族との関わり方。
物事を一面から見るのではなく、多面的に見る大切さを学んだことを、私自身の得がたい財産として、これからも生かして参りたいと思います。
「人生100年時代」という言葉がよく言われるようになりました。
「百歳まで、元気でいていただきたかった」これが偽らざる私の思いであります。
「だったらお前がその分、俺の分までしぶとく長生きして、これからの世の中を見届けろ」
おそらくあなたは、このように私におっしゃるのではないかと思います。
結びに「わかりました!」とあなたにお答えし、私からの御礼のご挨拶とさせていただきます。合掌
令和二年 四月八日
近藤建設株式会社 代表取締役 近藤圭太
近藤はスピーチライターとして、対価を得て原稿を作成しております。
しかし、ブログやYouTubeで発信するスピーチの例文は、「宣伝になる」「ノウハウを多くの人に知ってもらえる」という観点から、「無料で作成」させていただきます。
※個人情報や固有名詞は削除、発表前には事前に見ていただきます。
※内容を確認した後、「ブログの公表は止めてほしい」「このまま使いたい」このような場合には、正規の代金をいただきます。
「売り込みされそうでイヤ」
「本当に無料なの? 実は有料では」
「とか言って、後で請求があるのでは?」
そんなことはありません。
「事後請求などは一切行いません」
例文を作成し、コンテンツとして発信するということは、
それ自体が近藤のPRになります。
私自身にとって、十分のある話です。
さらに、スケジュール的に厳しい時は「厳しい」
ご相談の内容や、ボリューム的に有料になる場合は「有料になります」
質問の回答に関しても、「これは〇、これは×、この判断は★です」
このように、言葉を濁さずはっきりと申し上げます。
いわば、あなたと近藤は「Win-Win」
ガラス張り、大人のやり取りができますことを楽しみにしています。